散文録

つらつら書くのが楽しい。日記・作品の感想など

『自分という壁』を読んで

調子が「良い」か「悪い」かで言えば、最近は「だいぶ悪い」と思う。
心身ともに調子が悪い自覚があって、頭では「なんてことない」とわかりきっている事でも負の感情が止まらない感覚にヤバいと思った。これはどうにかしたい。こういう時に本が読みたくなる。

彷徨ったKindleストアで『自分という壁―自分の心に振り回されない29の方法(著:大愚 元勝)』のタイトルに惹かれてサンプル読みからの即購入。
「自分の心に振り回されない」というフレーズに、「そう!まさにいま自分の心に振り回されてます!」と惹かれたのが大きかった気がする。この「わかってくれますか!」感が嬉しく思うほどに、自分自身に振り回されていたんだと思う。

タイトルの通り、苦しみは「自分」の心から生まれる──と説く著者は寺の住職を務められている方で、仏教の教えをベースに負の感情を手放すための対処が書かれている。
忘れないように留めておこう、と栞を挟んだのが『苦しみをつくり出すのは他人ではなく「自分の心」』という言葉で、苦しいのは「自分が大好き」という「強烈な自我」が満たされない=「最も大切にされる自分が認められない」という膨れ上がった自己愛もあるんだろうな、と前より自己を俯瞰で見られた気がする。

本当に理不尽な事も中にはあるんだろうけれども、不満の底には強い自己愛がある=自己中心的な考えに傾いていないか自制して考えることが、結果的に「不満」や「苦しみ」を減らせるんだろうと理解した。
その上で、理解した上でどうしても受け入れられないのであればその環境を変えるべく自分でどうにか努力すればいいんだろう。それが難しいのは百も承知ではあるけど、ただ単に不満を感じるよりはよっぽど建設的で前向きに頭を使える気がする。

あとは出来事が起こった時に「嫌な」出来事と捉えるか「普通」や「良い」出来事と捉えるかは結局は自分次第なんだよなぁ、というのを改めて考えたりした。

『苦しみを生むのはあなた自身の"妄想"』というように、「妄想」というワードが常に出てくる本書で、『妄想で嫌いな相手を「巨大化」させていないか』という言葉がサクッと刺さった。自分がよくやりがちなやつ。
他にも『不必要な「嫌悪」に執着していませんか?』という言葉が刺さったり、「他者と比べたくなる欲求」というのも生産性がないのについつい陥ってしまいがちなので、自意識がブクブク膨れ上がった現状の自分に本書がとにかく刺さった。
刺さった事でブクブクの身に穴が開いて、毒が流れ出てスッキリ身軽になればいいんだけど。

『「嫌い」より「好き」を増やすと人生はラクになる』という教えが本当にその通りだと思っていて、この世の全てが自分の妄想であるならば、どうせなら「いい妄想」で頭と心を満たした方がいいに決まってる。
よくない考えに陥った時に「ハイハイぜーんぶ妄想!」とシャットアウトして無理やり好きな事を考える力技も悪くないんじゃないかと思う。

仏教に馴染みは薄かったけれども終始易しい語り口なので、宗教ベースの話もすんなり理解できた。
「自制」が己を救う、というのはわかっていても疲労が溜まるとどうしても失いがちな考えではあるので、ここでそういうマインドに立ち返れて良かったな。と読了して思う。

あと最近は本を読む機会もだいぶ減っていたので、本という媒体を読んだ時特有の「考えが整う」感覚が久しぶりだなと思った。
日常だとどうしても視点がミクロになりすぎる、というか小さい細かい事に囚われすぎてしまいがちなので、マクロな視点も見失っちゃいけいないよね。となんだか最近の自分への反省点が多い。

寒暖差で自律神経も乱れがちなこれからの時期、なんか不調だな…と思ったら体を整えると共に、「自制が必要でないか」自身を顧みる事で少しでも楽になればいい。
「自分という壁」はまだまだ高いけれども。