散文録

つらつら書くのが楽しい。日記・作品の感想など

日常から逃げて『ボヘミアン・ラプソディ』

衝動的に映画館に行きたくなった。映画を観たいというより「映画館で一時を過ごしたい」という衝動が湧いたのは、仕事して家事をして寝るという平日の日常からどうしようもなく逃げたくなったから。

「映画館に…映画館に行きたいよう」と半ば焦燥感に駆られて作品を探す。映画館に行きたいと言いながら「平日の仕事終わりの時間かつ都内で前向きになれる洋画がいいなぁ」なんてワガママ全乗せで探していたら、平日夜の日比谷で『ボヘミアン・ラプソディ』を見つけた。期間限定のリバイバルで、しかも応援上映だという。
寡聞にしてクイーンは数曲を聴いたことがあるのみで応援上映も初めてだけど、「これだ!!!」とピンときてしまった。テレビですら作品を観たこともないのに、私はこれを観て絶対に元気になれるという確信がなぜかあった。

フレックスタイム制度を利用して朝早く始業して早めに仕事を切り上げた。急なトラブルの残業も覚悟して終業まで席の予約はしないでいたが、週末でない平日の夜は席も空いていて、いい感じの場所に二人分が空いていた事が嬉しい。
同じく急なトラブルが起きないかハラハラしていた夫も無事に短時間の残業で終わり、仕事後にルーティンをこなして寝るだけの日常から逃げて来たのは東京ミッドタウン日比谷。そういえば最後に映画館に行ったのは去年の春ぶりな事に気づいた。

夕飯はフードメニューのホットドッグ。それにポップコーンとコーラも付けた。「映画館で一時を過ごしたい」という欲求を満たすには、これは欠かせない。
開場すぐに入って予告を見ながらホットドッグを食べる。おかずにポップコーン。空腹にジャンクフードが染みる感覚に、ワクワクと非日常の高揚感が湧いた。同じくポップコーンやドリンク片手にソロソロと歩く人をなんとなく見ながら、ビールらしきドリンクの人に「いいですね」とこっそり共感したりした。平日夜の映画館でビールも最高だろうな。

ここから映画の感想になるので内容のネタバレ注意になるけれど、クイーンというバンドへの知識も乏しく、フレディ・マーキュリーに関しても「クイーンのボーカル・男性同性愛者である事・エイズに感染した事」辺りしか知らなかったので、そんな「ファン」とも名乗れない身としてもそれでも魂は存分に揺さぶられた。

バンドそのものの成功はサクサクと駆け上がるように描かれた一方で、その裏で自身の性的指向に気づいてしまい婚約者を裏切る形になるフレディがとにかく悲しそうで、そこからは彼の「孤独」「寂しさ」がずっと印象に残っていた。

彼が自身の性的指向を認めた辺りから私生活にも寄り添っていたポール・プレンターは夜な夜な同性愛者のパーティを開きそこには当然のようにアルコールやドラッグがあり、暇なく「快楽」を与え続け仕事を遠ざけた挙げ句に決裂後はフレディのプライバシーをマスメディアに暴露するという泥沼で終わっていたけれども、「悪」のような立場で描かれたポールもどこかでフレディには必要な存在で、だからこそ長年連れ添っていたんだろうなという思いを持った。
それは「孤独」と「寂しさ」が埋まらない時、次に求めるのは「麻痺させる」事であって「快楽」には麻痺させる力があるから。
結婚したいほど愛している筈のメアリーを性的に愛せないフレディの哀しみと寂しさは描写されているけれども、ポールも、あの家に集う奇抜な格好をした人達だって夜が怖くて快楽で麻痺させたくて仕方なかったように見えた。

バンドメンバーにも抱える闇はあるだろう事は想像できるけど、それでも「伴侶がいる」というフレディとの隔たりは彼にとっての孤独であり、それを埋めるためのポールは必要な存在だったんだろうと、そしてポールにもまたフレディが必要で、だからこそ暴露するほどの恨みに繋がる執着があったのではないかと、ポールの中の孤独も見た。
一方でメアリーと別居後も電話を掛けメアリーに気づいてもらいたくて電気を付けたり消したりするフレディの姿は不器用でどこか子供みたいに見えて、メアリーへの人間的な愛と性的に愛せない哀しみを勝手に感じ取った。その哀しみを麻痺させるために自身の性的指向に従った快楽に浸るのは悪循環であって、余計に辛くはなかったんだろうかとも思う。私はずっと「孤独」と「哀しみ」をこの映画で観ていた。

…と暗い感情が強く印象に残ったけれども、暗い影の分だけ強い光を生み出せるのが「パフォーマー」の才能だと思っていて、終盤にフレディがメンバーにエイズに感染している事を告白したシーンの辺りで「俺が何者かは自分で決める」と自身を「パフォーマー」を称したセリフがあったんだけど、この辺りからラストまでずっと涙が出てそれを止めないまま観ていた。

父が言っていた『善き思い、善き言葉、善き行い』にずっと反発していたフレディが映画のラストでチャリティライブに出てそれを父が見るというシーンは「これは泣くよ」と思いながらボロボロボロと涙を零していたし『We Are the Champions』を泣きながら口ずさみ、魂をブンブンに揺さぶられながら爽やかな気持ちでエンドロールを観た。
この映画は孤独と哀しみとそれと対になるパフォーマーの光の物語だった。音楽伝記的映画に物語と言っていいのかわからないけれども、少なくとも私にとってはそう。「私はこれを観て絶対に元気になれる」という根拠のない確信は、やっぱり当たっていた。

 

そういえばこの上映は応援上映だったのでどんな感じなんだろうと思っていたけど、平日で人が多くなかったからか?想像よりは声出しも控えめな印象だった。それでも音楽シーンの度に最後の拍手が湧いたしペンライトを振っている人もいたし、『We Will Rock You』では足のタップも拍手も皆でやっていて楽しかった。音楽シーンでも何でもないストーリーの途中で「サンキューマイアミ!」って掛け声が上がったりして、なんかこういうのいいなって思った。

で、エンドロールが終わりホクホクとした気持ちで荷物を纏めて席を立とうとした時、なんとフレディのコスプレをした人が正面舞台に立って「エ〜〜オッ」とクイーンのコール&レスポンスを始めたから「これが応援上映か…!」と謎の感動があった。
他のお客さんもノリが良くて帰り支度をしながら「エ〜〜オ!」って手を上げるし、初めて来た私たちも楽しくて同じようにノッてた。
「エオ!」「エオ!」「エオ!」「エオ!」と続いて最後の締めの盛り上がりまで結構キッチリ再現してたと思う。いやー楽しかった!

コール&レスポンスが拍手で終わり、まだ舞台にいたおじさんがそのまま帰る他の客を「おやすみなさーい」と見送っていてそれも面白かった。サングラスを外したその顔がほんの少しだけ照れたような恥ずかしそうに見えて、なんかいいなと思いながら「おやすみなさーい」と言って劇場を出た。

応援上映というこの場には自由がある。バケツサイズのポップコーンにコーラ、人によってはビール。映画を観ながら涙も声も手も出るし、終わったら客が好き勝手にやり他の客がノる。仕事中は「アレはダメ」「こんなのありえない」と制限ばかりだが、ここには自由がある。ここには確かに自由があった。

衝動に身を任せた充実感と映画の満足感で、期待通りに元気をもらった。次の日は月末日に加えて予想外のトラブルでボコボコだったが、気持ちは元気だった。やっぱり日常から逃げるっていいね。たまには逃げよう。