散文録

つらつら書くのが楽しい。日記・作品の感想など

浮上と安寧

陰鬱から一夜明けた今日、自身を取り巻く環境は何一つ変わっちゃいないが、気持ちは凪のように落ち着いている。

毒気というか、重圧のようなものが抜けて気持ちがほわんと浮上したような感覚がある。

状況が良くなったわけでも救われる出来事があったわけでもないが、自分の毒が抜けたことに少しホッとしている。
ちょうど今の時期は自律神経やメンタルに障りがちと言われているので、春の気候のせいという事にでもしておこう。

昨日書いていて気づいた事として
日頃からこのブログで人様の日記を読ませていただいているが、面白かったり共感するのはもちろん、現状や自身の心情を端的に表す文章にリスペクトの思いでスターを押している。
一方で自身の心情を書き表そうと思った時、私はまだまだ思うように表現するスキルが足らないな、と改めて思った。

去年の夏くらいにこのブログを始めた時、どうやって文章を書いて良いのかわからず片っ端から「文章力」とつく本を読みまくってたんだけど、最近はそれも落ち着いていた。
が、久しぶりにそういう本でも読もうかなと思って

『みんなが書き手になる時代のあたらしい文章入門(著:古賀 史健)』

という本を仕事の合間に読んだ。

「また入門書かい」って気もするがこの本、「文章入門」だけあって接続詞の使い方や、映画のカメラワークに例えた表現方法の説明などが読みやすい。

そして

そう、文章を書く人の背後には、いつだって「シェア願望」があるんですね。この考えを、この感動を、この喜びを、この悲しみを、あの人やこの人、ほかのみんなとシェアしたい。わかってほしいし、分かち合いたい。文章は「思い」をシェアするための手段であり、たぶん人間とはさまざまな「つながり」を希求する、社会的生きものなのです。

この一節にハッとした。
私はただ「書きたい」という思いで書いていると思っていたけれど、なぜそれを公開するのか?の答えの底に「わかってほしい」があるんだよな…という事を改めて実感した。
わざわざ苦しい心情を文字に打ち込みあまつさえそれをネットに公開するという行為は、どこかで誰かにわかってほしかったんだろうね。

他になるほど!と思ったのが

そして、激賞の感想文をブログに書くとします。 さて、このとき真っ先に「いますぐ読め!」と伝えたい相手は誰なのか?
答えはひとつ。他ならぬ自分なんですね。

この「自分のために書く」というマインド。
作品のここが良い!という話をしたい時、誰に向けて書くんだろうと思ったことがある。
そういう時「"この作品を知る前の自分"に向けて書く」という方向性の定め方は目からウロコだった。
これ、実用書としてもすごく参考になる。
久しぶりに文章についての本を買ってみたけど、読んでよかった。
文章に限らずなんでも初心者向けの本ばかり買うが、入門書ばかり読むのはそういう趣味として割り切っている。

割とあっという間に読み終わって、今ちょうど書きたい文章があるのでそれをしたためている。
それなりに残業もしたものの、今日は穏やかな気分で終わった。

もともと浮き沈みはある方だが、昨日は重力で潰れそうになるような感覚で特に苦しかった。月初の繁忙とか寝不足とか気候諸々のコンボだろうか。

不安定な気温につられてまた昨日みたいな日が来るかもしれない。
春は好きだがこれは落とし穴だ。
やだな。この安寧が続いてくれ。